「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」

日本政府が2019年10月から実施した幼児教育・保育の無償化制度。その対象から朝鮮幼稚園をはじめとする各種学校の認可を受けた外国人学校幼稚園が除外されたことに対して、各地で関係者たちは民族教育を守るための幅広い連帯運動を展開してきた。

2020年1月、「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」が発起し、伊丹初級附属幼稚班の公開保育が実現した

なかでも昨年6月、兵庫県・宝塚市議会で「幼保無償化から除外された外国人学校幼稚園に救済措置を求める請願」が採択され、10月には伊丹市議会でも同様の請願が採択された。幼保無償化をめぐる請願採択は日本の自治体で初の事例だった。両地域は伊丹初級に通う園児、児童とその保護者たちが暮らしている。

これらの画期的な請願の採択に尽力したのが、「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」(「市民の会」)をはじめとする、日頃から伊丹初級を支援し、ともに歩んできた日本の支援者らだ。

伊丹初級の金幸一校長によると、長年の間、伊丹、宝塚、川西地域において朝・日市民らの連帯と協調が育まれてきた。それには、かつて同校や宝塚初級(当時)と近隣小学校との間で活発に行われた交流や、96年から開催されている「伊丹マダン」「たからづか民族まつり」など、同じ地域に暮らす市民同士が友好関係を築きながら、日本の市民らが、在日朝鮮人たちに対する民族的な偏見や差別の問題について把握する場が継続的に設けられてきたことが根底にある。「日本の支援者らが行う活動は、『どうして日本に在日朝鮮人が暮らし、朝鮮学校があるのか正しく知らなければならない』という思いがある」(金校長)

とりわけ「市民の会」は精力的な活動で同校を力強く支えてきた。カンパ活動を通じた伊丹初級、東北初中、福島初中への財政支援をはじめ、民族教育権利の正当性を学ぶ学習会、神戸朝高の吹奏楽部や舞踊部の生徒らが出演するコンサートの開催、運動会をはじめとした学校行事への参加、伊丹初級の新入生と卒業生への筆記用具のプレゼントなど、活動内容は枚挙にいとまがない。

その「市民の会」の発足に携わり、先頭に立って活動をけん引してきたのが、今年8月に急逝した故・田中ひろみさんだった。

故人の遺志を継ぎ

2013年に福島初中の児童・生徒、教員らを招待して行われた「宝塚保養キャンプ」(前列右端が田中ひろみさん、提供=総聯宝塚支部)

「朝鮮学校のためならと、我先に行動へと移すブルドーザーのような人だった」。長年の間活動を共にし、親交を深めた総聯兵庫・宝塚支部の全仁成委員長は田中ひろみさんについてこう話す。

田中さんとともに朝鮮学校の支援に力を注いできた「市民の会」の清谷緑さん、米田千代子さん、井上淳さんは「愛情深い人で、有言実行を体現した人だった」と口をそろえる。3人によると、田中さんが発案した支援活動の数々は「発想力の賜物」だった。

「朝鮮学校のために」――。職場で部落差別問題が噴出し、差別是正に取り組む過程で在日朝鮮人が置かれている苦しい状況を痛感。同胞高齢者の無年金問題、朝鮮学校の生徒に対するJR通学定期券差別、補助金削減に対して声をあげ、40年ちかく朝鮮問題と朝鮮学校に関わってきた田中さんの思いはさまざまな活動のなかで発揮された。

東日本大震災で被災した朝鮮学校の様子を知った田中さんは、「市民の会」でチャリティー絵葉書を販売し、東北初中の校舎の修繕費に充てることを提案。また、2012年から行われた福島県などに暮らす日本の子どもたちを対象にした保養キャンプを、福島初中の児童、生徒たちにも経験させてあげたいという思いの下、13年から毎年、自身が実行委員を務めて同校の児童・生徒、教員を招き「福島朝鮮学校保養キャンプin宝塚」を実施した。

田中ひろみさんは2013年度から伊丹初級附属幼稚班の講師として園児たちの成長を見守った(提供=総聯宝塚支部)

さらに、元々保育士として働いていた経験を活かし、2013年度から「語学留学」という名目のもと週に2回、伊丹初級の付属幼稚班で園児たちのサポートを担当した。すくすくと育つ園児たちの成長を見守ってきたからこそ、幼保無償化制度から朝鮮幼稚園を対象外としたことは、決して見過ごせなかった。

田中さんは、上述の宝塚、伊丹市に提出した請願の採択に奔走。多くの日本市民と伊丹、宝塚の両市議が学校を訪れた伊丹初級付属幼稚班の公開授業の実現にも尽力した。さらにさまざまな団体に請願の協力を呼びかけた結果、計17団体がこれに呼応し、宝塚市に「外国人学校幼稚園に救済措置を求める請願」を提出することに至った。

また、今年度からは幼保無償化の「支援事業」[i]の実施に伴い、保育士資格を有する教員が必要なことから、田中さんは月曜から土曜まで毎日、常勤講師として園児たちとともに時を過ごした。

子どもたちの笑いを誘い、和ませるために行ったゴリラやニワトリのものまねから「ゴリラハンメ」の愛称で親しまれていた田中さん。金幸一校長によると、講師としてかかる費用を渡そうとした際は「民族教育を守るための活動の一環としてやっている。費用は学校に寄付させてください」と、受け取らなかったという。

7月28日、田中ひろみさんは宝塚駅前で行われた「日本軍『慰安婦』被害女性と歩む大阪・神戸・阪神連絡会」による街頭宣伝に参加している最中に、脳内出血で倒れ病院に搬送され、8月息を引き取った。

田中さんの訃報は、伊丹初級の関係者はもちろんのこと、ともに運動を推し進めてきた「市民の会」のメンバーらに深い悲しみをもたらした。

「市民の会」の井上さんは「田中さんが継続は力ということを、生涯を通じて私たちに示してくれた。私たち日本市民が頑張ることで朝鮮学校の子どもたちにより広い道が開ける」と話した。米田さん、清谷さんは「田中さんの遺志を継ぎ、差別のない日本社会を築いていくとともに、引き続き朝鮮学校の子どもたちの学びの場を支えていきたい」と力を込めた。

伊丹初級の金幸一校長は「これまで学校を中心に築かれてきた朝・日友好の伝統と強固な連帯を繋いでいき、同じ地域に暮らす日本市民と協力しながら、子どもたちの明るい未来を切り開いていきたい」と話した。

(全基一)


[i] 21年4月から開始した「子ども子育て支援新制度」では、自治体主体の事業に「地域子ども子育て支援事業」が推進されている。そのうち、「多様な事業者の参入促進・能力活用事業」の名目で、朝鮮幼稚園など現在、幼保無償化の対象外となっている施設に対する「支援事業」がある。